日常と地球の額縁 4

 「小南柚寿? 知り合いだけど……」

 

 渋谷翔は、喫茶店に飾ってある小さな置物に目を落とし、そう言った。

 私はわかっていた、小南ほどの美人なら他校にも存在は知れ渡っていると。そして、夏休み明けに急に市内から転校してきたということは、何か洒落にならない揉め事を起こしたのだと。知り合いの読者モデルである渋谷は情報通でもあり、この一帯の一連の出来事は把握している。私はなんとか約束を取り付け彼とふたりで喫茶店に行くことに成功したが、渋谷の方はあまり乗り気では無いらしく、小南の話をした途端に暗い顔をした。綺麗なグレーの瞳を、今度は何も無いところへとさまよわせる。

 

 「……少し調べたら、冬華ちゃんだってわかるだろ。柚寿ちゃんが、あの桜鳴塾高校男子生徒殺害未遂事件に関わってるってこと」

 「やっぱり……!」

 

 小南がどこから転校してきたのかは、教師からも本人からも語られなかった。しかし、女子の間では噂が広まっていた。小南と中学が同じ生徒がいて、その子によるとあいつは、この辺りでも一番か二番の進学校である桜鳴塾高校の、さらに特進科にかなり良い成績で進学し、その高校の制服を着て、これまた少女漫画の王子様みたいな男の子と一緒に通学やデートをしていた、らしい。

 なんだ、あいつ中学は私立じゃないのね、と私は密かに思った。小南と同じ中学、ということは学区が同じで家も近所。その子の言うことは真実だと見てもいいだろう。しかし、あの桜鳴塾に進学しておきながら、うちの女子校に転校してくるのはおかしい。うちの高校は由緒正しいお嬢様学校というだけで、偏差値自体はそれほど高くない。そして桜鳴塾といえば、六月に全国ニュースにもなったあの事件。生徒は両者とも特進クラスの二年生だったらしく、あの高校は選抜で一クラスしか特進の名を持たないので、つまり小南と同じクラスだったのだ。

 

 「そんなに冬華ちゃんに話すことは無いよ。俺はただ知ってるってくらい、きれいな子だったから名前を覚えてるだけって感じで」

 「あの事件と関わってるんでしょ、ねえ、教えてよ。私、あの子と友達になりたいんだけど、なかなか心を開いてくれないっていうか……」

 

 本当は全然そんなことないけど、私は笑顔で言い切った。あいつの秘密さえ握れば、教室のグランプリはまた私のもの。あんな転校生に全て奪われるわけにはいかない。

 喫茶店、ちょうどいいタイミングでコーヒーが運ばれてきた。さあ全てを話して、お会計は私が持つって約束なんだから。人にこんなに下手に出ること、普段の私なら無いって、渋谷なら知ってるはずなのに。私のことをお嬢様って、前に褒め称えてくれたじゃないか。

 

 「さあね。少なくとも俺が知ってることといえば、柚寿ちゃんの方は、あんまり君みたいな女の子は好きじゃないってことくらい」

 

 そして彼は、運ばれてきたコーヒーを、砂糖もシロップも入れないで、ぐっと飲み干した。かちゃん、とコップを皿に置く軽快な音で私は我に帰る。怒りが込み上げてくる。渋谷にじゃない、渋谷にこんな事を言わせる、小南にだ。

 

 「じゃ、俺もこれからバイトだから。またね、冬華ちゃん」

 

 待って、と言う私の声と、目に飛び込んでくるのは空になったコップと学ランの裾。渋谷は立ち上がり通学用のリュックを背負って、にこっと私に笑いかけた。前まではもっと、金とか銀とか赤とかメッシュを入れていた髪が、純粋な茶髪に戻っているのに今気付いた。それほど私が焦っていた、余裕がなかったということだ。手を振る渋谷、そして数秒後店のドアを開けて、からんからんと鳴る鈴の音。

 

 「なんなのよ、あいつ」

 

 口に出すと更に間抜けだなあ、と思う。読者モデルの、あの渋谷翔でさえ、小南を庇うのか。ああそうだ、私の教室は、あいつがテッペンなんだから。

 

 

 「懐かしい! あなたも同じこと思ってたのね。小南柚寿、同じグループだったよ」 

 

 すぐに連絡することができたのは、渋谷翔の元彼女だという女、戸羽紅音。本当に桜鳴塾の特進クラスなのだろうか、髪の毛を染めて、へたくそな化粧をして、けらけら笑う戸羽は、ご丁寧に小南たちと撮ったというプリクラまで見せてくれた。戸羽含め、プリクラの魔法のような加工でみんな綺麗な顔をしていたが、やはり小南だけは別格の作り物という感じで、また少し嫌な気持ちになる。戸羽は、私と同じような気持ちを抱えて学校生活を送っていたというのだ。自分のポジションを、小南柚寿に全て奪われたと。

 最初から並べられ、配られたカードの数字が弱かったならもう諦めるしかないだろう。こんな崩れた化粧の下品な女と同じにされたくない。私は、大富豪でいう2、一番いいカードを与えられ、それでずっと学校生活を送ってきたのに、突然ジョーカーが混ぜられたのだ。戸羽とは抱える気持ちの大きさも強さも全然違う。

 

 「いいよ、全部話す」

 「ほんと? ありがとう、助かるわ、戸羽さん」

 「だって、とっておきだもん。あいつの恋人はね」

 

 犯罪者だもの。戸羽はそう言い切って、にやりと笑った。さっきの渋谷と違って、まるで悪役が浮かべる不敵な微笑み。ますます一緒にされたくなくなった、こんなのと同類なんて嫌だ。

 でも、本当に悪役なのは小南のほうじゃないか。私は思わず笑ってしまいそうになるのを堪える。神妙な顔をするのは疲れる、早くこれを学校中のみんなにバラしたい。戸羽の言う通り、とっておきだった。格好、そして最高。犯罪者の恋人、小南柚寿。

 あいつは、桜鳴塾高校男子生徒殺害未遂事件の被害者かつ加害者でもある、青山瑛太と付き合っていた。